元エベレスト登山ガイドに聞く山のことシリーズ、最終回であった前回の「海外の高高所トレッキング対策」では、入門編ともいえるAランク(海外の5000m級の登山、前回記事参照)の登山対策をお伝えしました。
本シリーズはそれで完結の予定でしたが、もっと知りたい!と好評につき追加の番外編として、Aランクよりも更に高いBランク・Cランクの高所登山についてお話や、講師の経験した山での危機一髪な経験、記憶に残る敗退などについて伺いました。
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世界最高峰での登山に関する、貴重な実体験を交えた内容となっておりますので、ぜひご覧ください。
6,000〜8,000mクラスの登山について
目次
− 前回Aクラスの高所登山で終わりましたが、番外編としてその上のB/Cクラス(6000m~8848m)の高所登山についてお話しください。
この高所登山のA~Cクラス分けは安村の考えで、更にD~Fクラスは鹿屋体育大学の山本教授の考えです(A〜Fのクラス分けについては前回記事参照)。
詳しくは山本正嘉著「登山の運動生理学とトレーニング学」第5章海外での高所登山・トレッキングをご参照ください。
B/Cクラスは一般的な高所登山です。
「Bクラス」は雪山技術が必要なアイランドピーク6160m等の一般的な6000m峰や、道歩きが主体だが高度が高く気象条件が厳しいアコンカグア6961m等6000m台の山です。
「Cクラス」は7000m台の山や酸素ボンベを使って登るエベレスト8848m等8000m峰が対象になります。なお、デナリ(マッキンレー)6190mは北極圏にあるので生理的高度は7000m台になり、その気象条件の厳しさなどでCランクに入れています。
8000m峰でも酸素を使うと生理的高度は6000m~7000mになりますので、BランクもCランクも生理的には同じだと言えます。
しかし、山のスケールが違いますので、登山期間がBランクは2週間程度の短期決戦ですが、Cランクでは1ヶ月かそれ以上かかり長期戦消耗戦になりますので、Cランクの山に登る方には長期戦消耗戦に備えて筋肉と脂肪を付けておく事を勧めています。
私は8000m峰に登ると8~10㎏体重が減りますし、第4回でお話した通り高所に強い人達でも大幅に体重が減るそうです。
− それでは8000m峰を無酸素で登るD/E/Fクラスの高所登山はどうでしょうか?
このD~Fのクラス分けは前出の山本教授の考えで、8000m峰全14座の無酸素登山が該当し、究極の最も過酷な高所登山です。
8000m峰は世界に14座ありますが、Dクラスは8000m前半の山、Eクラスは8500m前後の山、Fクラスはエベレスト8848mが該当します。
「Dクラス」の山は私は仕事で安全でかつ確実な登頂を目指していましたので、7500m位から酸素使っていたのではっきりとは言えませんが、一般の登山家でも充分な6000m台の順応をすれば無酸素登頂は可能だと思います。
その根拠はチョーオユー8201mの頂上の写真です。
この日は年に何回かと言う快晴無風でしたので、頂上で韓国隊と交流するなど2時間ほど酸素を使わずゆっくりしていましたが、何の問題もありませんでした。
ただこれはゆっくり歩くなど軽負荷の状態で、登るとこの何倍もの負荷がかかりますのでとても大変だとは思いますが、一般の登山家でも高所の経験を積み、事前のトレーニングや高所順応など充分な準備をすれば無酸素登頂は可能だと思います。
「Eクラス」の山を山本教授は「人類の生存限界は8500m」と定義をしており、ローツェ8516m、K2・8611m等8500m前後の山が該当します。
Dクラスのチョーオユー8201mとの標高差は300mほどですが、この差はとても大きく、極々少数の特別に強い登山家だけが無酸素で登れる山々です。
「Fクラス」の山は人類の生存限界を遥かに超えるエベレスト8848mで、この山を無酸素で登る人はスーパーマンです。
日本の強力な登山家も無酸素で登り、何人もの方が下山中に命を落としています。
私が登頂した日も8600m位で超ゆっくり登る先行パーティの一人が無酸素でしたが、十数歩歩いてはバタッと倒れていました。
登頂は時間との勝負ですので我々は彼らを追い越して登りましたが、下山では会いませんでしたので、登頂を断念したのだと思います。
メスナーさんが「数十歩歩いては倒れた」と本に書いていますが、それは本当です。彼らを見てエベレストの無酸素登頂は人間の限界を超えているのだと実感をしました。
− 8000mの山に登るとなると沢山の装備や食料を持ち込む事と思いますが、どう調達してどう運ぶのですか?
エベレストで言いますと、私は2回ともチベット側から登っています。理由は登山料がネパール側より安かった事と、何と言っても荷物をBC(5300m)迄トラックで運べ、
尚且つBCからABC(前進ベースキャンプ6400m)までヤクで運べます(写真④)ので、ネパール側より荷物の輸送と荷上げが遥かに楽だからです。
登山装備や食料のほとんどはカトマンズで調達をして、日本から運んだのは通信機器やソーラーパネル等や個人装備と日本食位でした。
カトマンズでは多くの登山隊の放出品が出回っていますので、わざわざ日本から運ばなくてもほとんどの装備は現地調達が可能ですし、食料も日本食や各自の嗜好品は日本から運びますが、ほとんどはカトマンズで調達して、荷物の総量は約2トンになります。
カトマンズからチベット側BCへはこの約2tの荷物をトラックで運び、BCからABCへはヤク30頭位で運びました。ヤクは1頭で60kgの荷物を運んでくれます。
更にABCから上のキャンプへは人力で運びます。なお、下山では使用済み酸素ボンベやごみなどは全てBC迄下ろし、リエゾンオフィサーのチェックを受けてからカトマンズに帰りました。
昔は装備やごみを残置して帰る登山隊があった様ですが、私が登っていた頃には完璧ではありませんが、結構きちんと後片付けをしていました。
危機一髪の経験、印象に残る敗退
− ありがとうございます。少し話は変わりますが、世界の高峰にたくさん登られた安村さん的、山での危機一髪の経験を教えてください
私はへぼクライマーですので、国内では何回も空を飛ぶ事に失敗をして入院していましたが、海外ではデナリ(マッキンレー)の頂上直下での滑落です。
数日後に悪天候が来ると言う予報でしたので、我々が登って下りるのと悪天候が来るのとどちらが早いか勝負と登りましたが、頂上直下で急に天候が悪化して、登頂後を撮り、
すぐに下山を始めましたが、前を行く方が吹雪で下山ルートが分からないとの事なので私が先に下り始めたら、後ろの方がスリップをして滑落したので、ロープを繋いでいた私も一緒に滑落しました。
ピッケルですぐ滑落停止をしましたが止まらず、2回目で運よく止まりました。
100m位落ちたか?と思いましたが、一瞬雲が切れ稜線が見えたら意外に近く、稜線迄50m位でしたのですぐ登り返し、無事に下山をする事ができました。
二人の滑落が私の2回目の滑落停止で止まったのはただただ運が良かっただけとしか言えませんが、現役時代にはよく滑落停止等冬山の基礎トレーニングをしていたのが生きたのだと思います。
このように登山では高度な技術よりどんな時にも対応出来る確実な基礎技術が大切です。
普通なら山で滑落停止をする事は一生ありませんし、私も50年間の山の人生で実戦で滑落停止をしたのはこの1回だけでしたが、その練習のお陰で生き延びました。
冬山に登る方、海外登山をする方は是非山の基礎技術を身に着けておく事をお勧めします。
私は運良く止まりましたが、冬山や高所登山で滑落して亡くなられた話は結構聞きます。
余談ですが、この時に一緒に登った方は73歳で当時のデナリ最高年齢登頂記録だったそうで、下山後地元アラスカのラジオや新聞等で紹介されました。
− まさに危機一髪ですね・・あらためて基礎技術の大切さを肝に銘じたいと思います。それでは、安村さんの印象に残る敗退のご経験というのはあるでしょうか。
これは2回目のエベレストでした。
頂上アタックの為にC2に向かった時に、野口隊C2(7500m)の前でお客さんが動けなくなり、辛うじてゴリラ隊C2(7600m)へは入ってくれましたが、これから8000m以上での体調が不安でしたので、ご本人と話し合い一緒に下山する事にしました。
7000m位で故谷口ケイさんに会いましたら、「何で下りるのですか?」と聞かれたので、「俺はガイドで来ているのだから、お客さんは下りて下さい、私は登りますと言ったら、お金を返せと言われるよ」と言いましたが、「何で?何で?何で安村さんが下りるの?」と彼女には納得がいかなかった様です。
ガイドはお客さんと一緒にいるのが仕事です。この後にアタックをした別の日本の公募隊の女性の方が、登頂後下山中にデスゾーンで亡くなりましたが、その方のガイドさんは登頂後お客さんをシェルパに任せて先に下りて、後から下りてきた野口健さんがその方の死亡を確認したと聞きました。
デスゾーンでガイドがお客さんと離れて先に下りては、たとえどんな理由があってもいけません。
この隊はBCで隣のテントでしたので、元気でした女性が帰らず遺体も下せず、憔悴したガイドさんを見るとその時には下山は良い判断だったと思いましたが、私は仕事でしたが登れなかったのはやはり残念でしたし、お客さんはもっともっと残念だったと思います。
もしかするとあの時登れば登頂して無事に下山できたかもしれない、と言ってデスゾーンでもし動けなくなったら助けるすべはないし、あの時の下山の判断が本当に良かったのか?と今でも葛藤があり、印象に残った敗退でした。
なお、この時のゴリラ隊の参加者は3名でしたが、1名の方が登頂しています。
エベレストではなかなか全員登頂とは行きませんね。
安村さんの考える、最強の登山家とは
− 極限での冷静な判断にプロフェッショナルを感じるお話でした。そんな安村さんが考える最強の登山家とはどういう人でしょうか?
とても難しい質問ですね。登山家には大きく分けると3つのタイプに分けられます。
一つは「冒険家」と言う、山にこだわらずエベレストから北極南極や砂漠迄、地球の上なら何処へでもと言う方々です。
その対極に山にこだわり、より高くより困難な登山=アルピニズムにこだわり垂直に挑む人々、「アルパインクライマー」と言う方々がいます。
その両者の中間に、山にはこだわるが困難な登山にはこだわらず、ただひたすらにピークに立つことにこだわる「ピークハンター」と言われる方々がいます。
日本には大勢の登山家の方がいらっしゃいますが、私のお会いした方だけに限定して申し上げますと、冒険家としてはもう伝説の冒険家になりました故植村直己さんです。
岩登りはどべたと聞きましたが、体力/精神力/行動力など抜群であったと伺っています。私が若い時に一度お会いしただけですが、今でも強烈な印象があります。
アルパインクライマーとしては昨年第13回ピオレドール生涯功労賞を受賞した山野井泰史さんだろうと思います。
欧米人以外では初で、イタリアの天才クライマーWボナッティさんや超人Rメスナーさんなど登山の神様の様な人達12人と同列に並んだのですから、最強だと思います。
余談ですが、山野井さんが若い時に一度指圧をしたことがありましたが(私はあん摩マッサージ指圧師です)、その柔らかい筋肉には「クライマーはこう言う筋肉でないといけないな」と感心した記憶があります。
ピークハンティングでは7大陸最高峰が有名です。
次の写真は世界で初めてその7大陸最高峰を登頂したディックバスさんで、それまでの5大陸最高峰ではなく7大陸最高峰に登ると言う着眼点の良さにはなるほどなと感心したものでした。
これも余談ですが、バスさんはとても気さくな方で「コロラド州(米)でスキー場をやっているので遊びに来い」と言われましたが、私はスキーはやらないので行かずじまいでした。
しかし、ピークハンティングで最も難しいのはピークの全てが死の世界・デスゾーンの8000m峰14座の登頂です。何人もの日本の強力な登山家が挑み、途中で命を落としていますが、日本で初めて8000m峰全14座を登り、世界でも29人目の竹内洋岳さんがピークハンターでは最強だと思います。
最後にアドバイス
− 今回もいろいろとお話をありがとうございました。最後に、読者へのアドバイスいただけますでしょうか。
(1)安全登山にご留意下さい。
登山は最大下運動(最大能力を使わない運動)ですので老若男女誰にでも出来ますので、生涯スポーツとして最も優れているスポーツですが、山は非日常の世界で山には危険が一杯です。
前出の故植村さんは厳冬のデナリ(マッキンレー)から帰らず、山野井さんはギャチュンカン(7952m)で手足の指10本を失い、竹内さんはガッシャーブルムⅡ峰(8035m)で雪崩に遭い瀕死の重傷を負う等の事故に遭っています。
この方々は極限の登山中での事故ですが、高尾山では毎年100件近くの遭難事故があり、コロナ禍で登山者が激減したはずの2020年の奥多摩でも48人が遭難して2名の死者が出ています。
奥多摩で20年間山岳救助をしてきた友人の元警視庁青梅警察署山岳救助隊副隊長の金邦夫さんは「奥多摩で滑落しても北アルプスで滑落しても、結果は同じだ。転ぶな!と言っても転ぶんだよな」とぼやいていました。
街で転ぶと救急車がすぐ来てくれますが、山で転んでも救急車はすぐには来てくれませんし、救助隊が出動するなど大事になります。
私が若いころの山の事故は岩登りで落石に当たったとか、冬山で雪崩に遭ったとか、これはしょうがないかな?と言う事故でしたが、今の山の事故は滑った、転んだ、道に迷った等初歩的な事故が目立ちます。
山の勉強や体力や技術のトレーニングをして、転ばないように、道に迷わないように、安全に登山をお楽しみ下さい。
(2)生涯登山をお楽しみ下さい
山は不要不急のものではありません。その美しい風景と色々経験や多くの人との出会いで、人生を豊かにしてくれます。今は人生百年の時代です。
このコロナがいつ収束するのかは分かりませんが、コロナに負けず、歳にも負けず山に登り、良い登山人生、豊かな人生をお送りください。
日本登山インストラクターズ協会と山のサイトGoALPが、そのお手伝いを出来れば大変嬉しく思います。
日本登山インストラクターズ協会 講師 安村淳
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当サイト「GoALP – 山を楽しむ人のための安心・安全登山メディア」の監修者でもあり、登山を教えることのできる者が集まった非営利集団で、山岳事故を減らすための啓発活動をしている日本登山インストラクターズ協会(2013年創立・岩崎元郎代表)が、来春より開催する6期目「JMIA登山講習会」の受講者を募集しています。あなたも、一年かけて実際に山に登りながら山岳指導者の手ほどきをうけてみませんか?